"そんな時期、よく行ったレストランが、町の交差点の一角にある中国レストラン。安くて、量が無意味に多くとても助かりました。(味は何を食べてもショッパイスープ、ようは何が入ってるかだけが違う)その中国レストランでは、子供が客席で宿題をしつつ時折、お母さんによばれて、料理を運んできたりして、(労働基準法的にいいの?)とか思いながらも、「よく働く彼ら」を尊敬していたものです。"
アメリカで見た「よく働く彼ら」、その人達が来た中国で国と文化に身を置いたらきっと面白い経験になるに違いないとつまるところそんな「行き当りばったり」な思いから大連行きを決意してしまったあの日。行く直前やついた直後はまさに後悔の嵐、「何故?なんで?」とよく心の中で連呼したものです。
そんな私ですが大連から帰ってきて早くも二ヶ月、今では時折、大連の情景や知人をブログを見るたびに「オッ大連じゃん」と思う私。その感覚といったら久しぶりに肉親に会うような気分にさえ似ています。またそれを感じるたびに「日常」が「非日常」に変ったことへの哀愁に似た思いも。
無造作に生活が溢れかえっている町並み、活気、音、声、におい(?)そしてお世話になった人達。そんな私が思う大連で生活できて本当に良かったなとつくづく思います。またこう思えるのも大連で出会えた人達のおかげです。改めて感謝感謝。
さて「中国で働いてよかったのか?」「正しい判断だったのか?」
仕事という境遇だったので終始仕事に帰結していてそれに中国での生活がくっついている感じです。二年半いましたが中国語は日常会話に毛が生えた程度、正直言ってしまうと帰ってくる頃にはきっと中国語もペラペラでビジネスにも精通している自己像を思い浮かべてはムフフと思っていたので自他ともに拍子抜けな部分があるのは事実です。
しかしながら中国に対する関心が更に深まった、これは大きな資産ですね。実際に中国ニュースも頻繁に見たり、今更ながら中国語をちらりと見たり(ほんと中国にいるうちにやっとけよって感じですが。。)。また中国を実際に自分の目で見て、時として、仕事で信頼できないなど揶揄される中国の方ですが仕事を通して、仕事上の色々なフィルターをくぐれば日本人以上の人材になるということや同時にそのようなフィルターをくぐる機会はある一定の限られた人にしか与えられておらずこれからも格差として変ることは無いのだろうという悲しい事実も体感しました。
色々な日本人の方と接してきて思うこと、それは中国への関わり方は本当に人次第だということです。生活や経験に重点を置いて仕事をする人もいれば、しばらく働いてから留学をしたり、中国系の会社に就職したりと、人それぞれの中国へのかかわり方を見つけています。私にとって最終的にはまぁ色々とあったのも事実ですが中国を拠点として中国で働くのではなく、日本を拠点に中国と接するという関わり方を選びました。
最後に今やすっかり大連マニアになった私ですが意外と日々、中国に行こうと決意をする方、迷っている方、結構いらっしゃるようですね。その他もろもろもし何かご相談やご質問がありましたらお気軽にメールくださいませ。
日本では以前よりやりたかった広告の分野で活動します。
なので・・・今はこんなことやってるんだ程度に見ていただければと。
できるかな?広告新書編
〜広く世間に告げ知らせるお仕事の新入りな私がつづる奇書〜
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